第6回 花山稲荷神社

 山科についてご紹介していく「山科めぐり」。6回目の今回は、弊社からほど近い、花山稲荷(かざんいなり)神社を紹介します。


鍛冶の神様

▲本殿。「花山」とは、この神社によく参った花山天皇からついたとも言われる。
 花山稲荷神社は、平安時代前期の903年、醍醐天皇の勅命により創建されたと言われています。
 醍醐天皇は山科神社を創建した宇多天皇の子で、山科と関係の深い人物です。お墓も山科にあります。
 主祭神は、宇迦之御魂(うかのみたまおおみかみ)大神、いわゆる稲荷大神です。
 もともと鍛冶の神として信仰があったところに、後から稲荷大神を祀るようになったと言われております。 稲荷と鍛冶の神が結びついたのは、農機具が稲作に不可欠だったところからと考えられています。
▲本殿前の鳥居。「火山稲荷大明神」ののぼりが並ぶ。


名刀・「小狐丸」が鍛えられた地

 

▲稲荷塚。弥生時代後期の円墳ではないかと言われている。

 この神社の中心にある稲荷塚は、平安後期に三条宗近(さんじょうむねちか)が名刀「小狐丸」を鍛えたところといわれています。
 小狐丸ができるまでの物語は、能や歌舞伎、長唄、文楽の『小鍛冶』で語られてきました。
 刀を打つのは一人でできず、うまく槌を打つ弟子が必要になります(「相槌」の語源です)。刀鍛冶であった宗近は、一条天皇から名剣を打てととの命を受けます。相槌を打つ弟子がいないのでいったん断ろうとしたが、山科の花山稲荷にお参りしたところ、稲荷明神から使いの狐が表れて相槌を打ってくれたため名刀が生まれたというお話です。
▲狛犬。稲荷なので、狐が祀られている。犬と狐の両方が並ぶ神社は珍しい。
▲石碑。読みづらいが、「稲荷塚」と書かれている。


大石内蔵助との関係

▲血判石。塀の内側にあり、なかなか見つけにくい。
 「忠臣蔵」の主人公である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)がよくお参りしたことでも知られています。
 吉良邸への討ち入りの前、内蔵助は山科に住んでいました(詳細は大石神社・岩屋寺を参照)。この時期に花山稲荷を厚く崇敬したことで知られており、花山稲荷神社は俗に「大石稲荷」と呼ばれることがあります。
 境内には内蔵助が寄進したと言われる鳥居や、内蔵助が赤穂浪士たちに血判をさせた石を見ることができます。
▲内蔵助寄進の鳥居。本殿の裏に立てかけられている。
▲断食石。本殿の前にある。内蔵助がここに腰かけて断食をしながら思考を巡らせたと言われる。


花山稲荷Webサイト:https://kwazan-inari.jp/

2020年11月13日